パラダイムシフトを目指して共創するリモートチーム

みなさんは、「カオスの縁」という言葉をご存じでしょうか。

社会や生命のような複雑なシステムは、状況によって様々な挙動を示します。

1)均一:何も動きのない状況。
2)秩序:規則的に動き、予想することが可能
3)カオス:不規則に動き、確率的に理解することが可能
4)カオスの縁:秩序とカオスの境目に存在し、とても複雑な挙動を示す。

私たち生命は、カオスの縁で誕生し、進化を続けています。

私たちの身体は、とても複雑で、カオスの縁で、創造と破壊を繰り返しながら動的な秩序を保っています。

私たちを取り巻く自然も、とても複雑で、カオスの縁で、創造と破壊を繰り返しながら動的な秩序を保っています。

しかし、進化の末に生まれた私たちの知性は、不思議なことに「カオスの縁」よりも、「秩序」を好む傾向があります。

私たちの知性は、世界の秩序に注目し、その原理を解き明かし、様々な秩序を自分たちで作ってきました。知性のそのはたらきは科学を生み出しました。16世紀に生まれた機械論パラダイムは、機械を理想として世界を作り直していき、あっという間に世界を覆い尽くしていきました。機械論パラダイムは、複雑な世界を「知性」の枠組みの中で理解可能だという前提に立っています。でも、それは、正しいのでしょうか?

 

哲学者アンリ・ベルクソンは、『創造的進化』の中で、次のように述べました。

私たちの思考は純粋に論理的な形を取るとき、生命の真の本質を、進化運動の深い意味を表象することはできぬのではないか。
思考は生命が特定の環境の中で特定の事物に働きかけるように造ったもので生命の一つの発露か一つの相面にしか過ぎぬのに、どうして生命そのものを包み込むことができようか。
それは進化運動がみちみち降ろしてきたものなのに果たして進化の運動そのものに沿ってあてがわれるだろうか。
これをできるとするのは、部分は全体に等しいとか、結果は原因を自分の中にそのまま吸収できるとか、浜辺に置き去りになった小石はそれを打ち上げた波の形を描き出しているとか主張するようなものであろう。

 

カオスの縁で進化し続ける生命プロセスに宿った機能の一つである「知性」が、どうして、自分を含む全体である「生命プロセス」を、内部に含むことができると考えることは、生命プロセスを「秩序」の中に閉じ込めていくことへと繋がります。

私たちは、カオスの縁で生きる生命として、カオスの縁を住処にして生きるためにはどうしたらよいのか?人間の知性をカオスの縁で生きることに、どのように役立てられるのか?というチャレンジを行っています。

ティール型リモート組織「与贈工房」は、2年間の試行錯誤の末に生まれた一つの形です。

所属しない組織

私たちの身体を構成している炭素や水素といった物質は、常に入れ替わっています。身体への滞在時間は物質によって様々ですが、とにかく、どんどん入れ替わっています。物質が循環していることは、生きるために不可欠なことです。しかし、それにも関わらず、「私」という自己同一性は保たれています。「私」とは、物質の集合体についた名前ではなく、物質の動的な関係性についた名前です。いわば、物質の循環の渦についた名前です。私は、これが、生命的な組織の本質なのではないかと思います。

現在の組織の多くは、生命ではなく機械をモデルにしています。そのような組織を構成する人間は、機械の部品に例えられます。部品は明確な役割を定義されていて、それらは、故障しない限り交換することはありません。機械をモデルにした組織では、メンバーは、あらかじめ役割を果たす代わりに報酬をもらうことを約束します。そのため、所属しているかしていないかが明確なのです。

しかし、生命的な組織では、状況が異なります。私は、カオスの縁で生命的に生きるためには、「所属」という考えを見直す必要があると考えています。

与贈工房では、仲間を誘い合ってプロジェクトが立ち上がり、プロジェクトが終わるとメンバーは解散します。プロジェクトを動かしているときは、与贈工房に参加していて、プロジェクトが終わると、与贈工房の周辺へと移動します。プロジェクトの収益は、プロジェクト内で相互評価によって分配され、一部は、収益を直接生まないが、組織の維持のために必要なチームへと送られます。このように、与贈工房には所属の概念がなく、境界が曖昧です。

自分も周りも満たしながら気持ちよく働く人は、様々なプロジェクトから声がかかりやすくなり、与贈工房の滞在時間が長くなっていきます。また、周りを巻き込む力が増してきて、自分でプロジェクトを立ち上げることもできるようになってきます。

組織全体の学習を蓄積できるように、毎週行う戦略MTGと、月に1回行うガバナンスMTGのメンバーは、ある程度、固定しています。また、メディアチームなどは、終わりのないプロジェクトなので参加期間が長くなる傾向があります。これらのチームでは、各自が、参加する情熱がなくなったときに、自ら「やめます」と発言し、対話を通して気持ちを伝えてチームを抜けます。

「所属」しない与贈工房では、すべての行動が約束によって縛られないので、自分がやりたいからやっているということが、とても重要視されます。同時に、やりたくなくなったことはやめるということも、とても重要視されます。

自分の気持ちに正直に行動することによって、メンバーのエネルギーが乗るプロジェクトは続き、乗らないプロジェクトは消えていきます。それらが、アメーバー型組織の進むべき道を指し示すのです。

機械論パラダイムの中で生命として生きるために

カオスの縁を住処にして生命らしく生きることを決めて2年が経ち、日々実感しているのは、機械論パラダイムが、まだまだ主流である社会の常識と、与贈工房の組織の在り方とが大きく食い違っているということです。

たとえば、私たちは、代表者がいない組織であり、前述のように「所属」の概念も曖昧ですが、それだと他の企業や行政機関などと仕事をするときに困ります。彼らは、全体を統括する責任者と契約をする必要があるからです。そこで、生命的な組織と機械論パラダイムとを結びつけるインターフェースとして、法人を作っています。

私たちは「中心の存在しないアメーバ」として活動していますが、外部からは、「顔はどこですか?」と聞かれるので、「お面」を一つ作り、「それを顔だと思って話しかけて下さい」ということにしています。

外部は「お面」を、全体を統括する責任者と見なします。しかし、「お面」は、与贈工房を統括することはなく、むしろ、統括しないことによって与贈工房の生命的な在り方を守ります。

法人のために私たちがいるのではなく、私たちの生命的な活動を支えるために法人を作ったからです。

与贈工房だからできること

私たちは、「共創」とは、そこに関わる人が、穴の空いた論理空間を維持し続けるところから始まると考えています。

 
 

穴は、私たちを取り囲む生命プロセスとの繋がっています。論理空間は、私たちの知性が形成する記述できる世界を表します。

穴からは、そのときの知性では理解不能な様々なものが、次々と吹き出してきます。その理解不能なものを「ないもの」とせずに向き合い続ける中で、次々に生まれる矛盾をリフレーミングを繰り返すことで統合していくと、終わらない創造のプロセスの中で生きることになります。
それが、知性を持つ人間が、自分を取り巻く生命プロセスの一部であることを感じ取りながら、カオスの縁で生きる方法なのではないかと思います。

16世紀以降、私たちは、穴を閉じ、世界中の人が科学という共通の論理空間を共有することで社会に安定をもたらせるのではないかと考えて機械論パラダイムを押し進めてきました。しかし、その結果として見えてきたのは、論理空間が無視して「ないもの」としてきたことの影響が無視できなくなり、機械論パラダイムに限界が来ているということではないかと思います。

科学の論理空間が無視してきたことの中で重要な2つは、地球が有限であることと、私たちが生きているということです。

閉じた論理空間をひたすら精密化し、拡大していくために知性を使うのではなく、穴の空いた論理空間の中で、生命プロセスから吹き出してくるゆらぎと向き合うために知性を使うのが、カオスの縁で生きるときの知性の使い方です。知性が成熟するほど、大きなゆらぎを取り込めるようになるのです。

1人で生きていると、いつの間にか穴か閉じてしまい、完結した論理の中で、独りよがりの「正しさ」を振りかざすようになりがちです。そうなると、創造は止まり、カオスの縁から離れ、秩序の世界の住人になっていきます。

創造の源であるカオスの縁で生きるためには、自分の論理空間に穴をあけてくれる「他者」が必要です。お互いに、正直に自分の内側の真実を語り合うことで、お互いの論理空間に穴を空け続け、集団としてカオスの縁に留まり続けることが可能になるのです。その結果として生まれる創造を、私は、共同創造(共創)と呼んでいます。

秩序の世界に住みながら、共創を行うことは不可能です。
安定した世界で、「共創」を計画することはできないのです。
それは、子どもに「主体的に学べ」と命令してやらせようとするのと同じ論理的矛盾です。
多くの組織でイノベーションが起こらない原因は、ここにあるのかもしれません。

共創に必要なのは、カオスを覗き込む覚悟です。すべては、ゆらぎを受け入れ、矛盾を内部に取り込むことから始まります。それが、論理空間に穴をあける行為です。

抱えこんだ矛盾を解消するために、必死に自分の思考フレームをリフレーミングし続けることで、新しい思考フレームが現れ、それが、創造の足場になるのです。

与贈工房からは、未来へのプロトタイプが次々と生まれています。

それは、私たちがカオスの縁に生きる覚悟を決めたから、カオスの縁から取り出せるようになったものです。

国境を越えて繋がるリモートチーム

与贈工房のコミュニケーションは、Web会議室Zoomと、Slackによって行われています。

2018年5月現在、与贈工房の参加者は、約20名。日本、マレーシア、スイス、香港の4カ国にまたがっています。お互いに対面で会ったことのない組み合わせもたくさんあります。

このような国境を越えたリモートチームで、生命的な組織運営をすることが可能になったのには、Zoomというツールの存在が大きいです。

あたかも対面で話しているかのような臨場感で対話できる環境だからこそ、情報だけでなく感情も共有してコミュニケーションをとることができます。

外発的動機付けのない生命的な組織では、活力の源は、個人のいのちと、集団に宿るいのちとの二重生命状態が生まれるかどうかがカギになります。

与贈工房の「与贈」という言葉は、場の研究所の清水博さんの唱えている「いのちの与贈循環」からいただいています。個人の活動によって居場所に即興ドラマが展開し、そのドラマによって各個人が居場所に存在する意味を受け取ることができることで、個と居場所という階層の異なる「いのち」の間で起こる循環が「いのちの与贈循環」です。これが、生命的組織のエンジンです。

与贈循環が起こるためには、コミュニケーションの質と量とがあるレベルを超える必要があります。そのため、オンラインコミュニケーションの制約が大きかった時代には、与贈循環による自己組織化が起こるために、リアルの場所に集まる必要があったのです。

与贈工房の取り組みは、オンラインコミュニケーションの進化により、自己組織化が完全リモートでも可能になったことを示すものです。これは、組織の自己組織化の新しい地平を切り開くものだと思います。

『ティール組織』という観点から与贈工房を捉える

2018にフレデリック・ラルー著『ティール組織』が出版となり、話題になっています。この本では、個人の発達段階と組織の発達段階とを対応づけて、次のように分類しています。

順応(アンバー)型:部族社会から農業、国家、文明、官僚制の時代へ。時間の流れによる因果関係を理解し、計画が可能に。規則、規律、規範による階層構造の誕生。教会や軍隊。

達成(オレンジ)型:科学技術の発展と、イノベーション、起業家精神の時代へ。「命令と統制」から「予測と統制」。実力主義の誕生。効率的で複雑な階層組織。多国籍企業。

多元(グリーン)型:多様性と平等と文化を重視するコミュニティ型組織の時代へ。ボトムアップの意思決定。多数のステークホルダー。

進化(ティール)型:変化の激しい時代における生命体型組織の時代へ。自主経営、全体性、存在目的を重視する独自の慣行。

 

与贈工房は、カオスの縁で生きるためにはどうしたらよいか?生命的な組織とは何か?という問いに導かれながら探究してきた末に生まれた、与贈循環をエンジンとして動く完全リモートの生命的な組織です。この本の分類に当てはめるとすると、ティール型を目指している組織と言うことになります。(ティール型を知って、それを目指していた訳ではないのですが、あえて「ティール型」と呼ぶことで、生命的な組織の取り組みに関心のある人と繋がりやすいのではないかと思い、このように呼んでいます。)

ティール組織が掲げている3つの柱
(1)自主経営
(2)全体性
(3)存在目的

 

この3つは、与贈工房でも大切にしているものです。私たちは、存在目的を、「組織が道(タオ)を見いだして進む」と言い換えています。

社会変革ファシリテーターのアダム・カヘンは、変革を起こすためには、次のように定義した力と愛とが相補的にはたらきながら、両足を交互に踏み出すように歩いて行くことが重要だと述べました。

力とは「生けるものすべてが、次第に激しく、次第に広く、自己を実現しようとする衝動」である。
言い換えれば、力とは、自分の目的を達成しようとする衝動、仕事をやり遂げようとする衝動、成長しようとする衝動である。

愛とは「切離されているものを統一しようとする衝動」である。言い換えれば、愛とは、バラバラになってしまったもの、あるいはそう見えるものを再び結びつけ、完全なものにしようとする衝動ということになる。

 

力が愛よりも重要視されるのがオレンジ型パラダイムであり、反対に愛が力よりも重要視されるのがグリーン型パラダイムだと、私は理解しています。これは、言い換えれば、穴からのゆらぎを押えて論理空間を拡張していくことを優先するのがオレンジ型で、論理空間の拡張よりも穴を通した繋がりを優先するのがグリーンパラダイムということです。一方で、ティール型パラダイムは、力と愛とが相補的に働き、交互に働くことで、組織に「心臓の鼓動」のようなリズムが生まれ、論理空間と穴とが調和しながら共に拡張していくことを目指しているように思います。そのリズムに引き込まれたり、新たなリズムを生み出したりしながら、個が全体と関わりながら活動していくのが、ティール型の在り方なのではないかと思います。そして、それは、私が与贈工房での活動を通して、日々、感じていることです。

私たちの働き方は、現在の日本では、珍しいかもしれません。機械論的パラダイムの常識に照らすと、非常識な働き方です。しかし、一方で、生命的な原理に照らすと、合理的だと感じています。

まだ、ほとんど出現していない未来の働き方を探究する試みとして、実験を続けていきたいと思います。

与贈工房の働き方の実験が、他の誰かの新しい可能性を生み出すきっかけになればうれしいです。

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